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8月17日/1979(S54)年
ヤクルト、森・植村コーチをクビに 開幕8連敗でスタートした前年の日本チャンピオン、ヤクルトスワローズは、この時点で31勝46敗9分で最下位。首位広島カープとはすでに10・5ゲームもの差がついていた。 そしてこの日の夕方、佐藤邦雄ヤクルト球団社長が、 「森(昌彦ヘッドコーチ)、植村(義信投手コーチ)両コーチは休養し、広岡(達朗)監督は17日の巨人戦の指揮を取らず、佐藤(孝夫)打撃コーチが監督を代行する」 と、試合開始まで2時間もない後楽園球場で発表したのだった。 後楽園のゲームは、巨人に2-9と大敗。午後9時半になって神宮のクラブハウスで記者会見した広岡監督は、「チームの現場の責任者はあくまで私であり、私の指揮下にあるコーチがチームの不振の責任を負わされ更迭ということを認めるわけにはまいりません」との声明文を読み上げ、退団することを発表した(29日に正式に退団)。 広岡監督と松園尚己オーナーは、もともとV1後のトレードをめぐって対立、モメていた。 オーナーの意向で「トレードをしない」〝家族的〟なヤクルト球団だったが、広岡監督はチャーリー・マニエルを近鉄バファローズへトレードに出し、球団が退団させたがった森コーチも、監督がかばって残留。さらに監督は、球団役員の交代も要求したという。 このとき監督を辞めさせなかったのは、優勝監督をクビにしては世間の物笑いの種になる、という球団側のメンツだけだった。 球団では8月7日に、植村コーチの二軍降格と森ヘッドコーチをただのコーチにするよう監督に迫り、拒否されていた。そしてコーチ「休養」の発表。こうなると報復合戦といった感じだ。 オーナーは腹にすえかねていたわけだから、この年の悪成績では、シーズン途中での球団によるコーチ更迭、それに伴う監督の退団は予想できないことではなかった。それにしても、日本一からわずか10カ月のこの大失態。V1スワローズは、この時点で瓦解した。 以後、燕は14年にわたる長期超低空飛行を続けてゆく。(春) ☆2009年のコメント この広岡退団は、何が起こったのか――よくわからないながら、びっくりしたことはよく覚えています。マニエルと一緒に近鉄に放出された内野手の大ファンだっただけに、広岡監督の「非情さ」というかたちで、そのトレードも印象に強く残っています。その内野手は、トレードで移った近鉄、その後また移籍した阪神でもリーグ優勝に選手として貢献できたのだから、彼にとってはよいトレードだと思うのですが。彼=永尾というショートでした。 さて、11日の、村山が泣いて退場した試合の結果ですが、延長10回表に阪神が1点を取り、それが決勝点。阪神が3-2で勝ったようです。
by sairyushakikaku
| 2009-08-17 14:30
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