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8月5日/1973(S48)年
センター池田のバンザイ落球! 1973年は、あまたあるT・G名勝負、名場面の中でも、とりわけてトンデモナイ見世物が多かったことで知られる。田淵の巨人戦7打数連続ホームラン、江夏主審ぶちかまし事件、上田二朗あわやのノーヒットノーラン(→7月1日)、10月の大デッドヒート(→10月11日)と、挙げればきりがない。そんな中でも最大の珍プレーは、8月5日の甲子園球場9回表にトドメを刺すだろう。 2対1、タイガース1点リードで迎えた9回表、ピッチャー江夏、キャッチャー田淵の黄金バッテリー。ランナーは一、三塁ながらすでに2死、バッター黒江が打ち上げたのは平凡なセンターフライだった。センター池田純一が両手を挙げて捕球体勢にはいった……阪神の勝利、と誰もが思った。その瞬間、池田はスッテンコロリンと仰向けに転倒、ボールはバンザイの恰好で倒れている池田の頭上を抜け、フィールドを転々ところがった。走者2人は一気に生還し、ジャイアンツの逆転勝ち……。田淵は怒りのあまりマスクをグラウンドにたたきつけ、勝ったものとマウンドを降りかけていた江夏は茫然自失の体。観戦していた私たちは、呆気にとられて物も言えなかった。 この年は、ぎりぎりのつばぜり合いの果てにジャイアンツが優勝した。タイガースの敗因はフロントにあったと今になってはわかるのだが、当時は「あのとき池田がこけなんだらなあ」というため息の交換が、一般ファンの挨拶代わりだった。甲子園のエースから阪神入りし、70年には代打満塁サヨナラホームランをかっ飛ばし、オールスターに2度出場した大型外野手は、このプレーによってファンの記憶に永久に残ることになった。 ここまでで終わる話なら、私たちは池田選手をある種の悲劇の男として語り継ぐことに、普通は、なる。ところがそうは問屋が下ろさぬのがタイガースである。 日本テレビ制作の『伝統の阪神vs巨人名勝負集』(vap)というビデオがある。これは同じようなフィルムを阪神サイドと巨人サイドから編集したものの2種出ているが、巨人を応援しながらもどこか客観性を意識している後者より、ハナから阪神一辺倒の前者のほうが面白いと、私などは思う。ここに何と、池田がオッサンになって登場し、あのプレーを語っているのだ。「いやあ、あのときはエライコトしてしもたと辛かった。楽勝で捕れると思ったんだが」などと殊勝な言葉を口にしているのだが、いかんせん顔が笑っている。「ランナーがホームに駆け込むのが見えた。時間が長ーく感じたね。田淵はミットをたたきつけよるわ、江夏はロッカーで裸でひっくり返って心臓に氷を当ててた。彼は心臓が悪かったのに、よっぽどショックな負け方やったんや」と冷静な解説まで披露している。 察するに池田は、自らの名を球史にとどめることになったあのプレーを、何度も何度も反芻するうちに、「いくら珍種ではあっても、これもまた野球の神様が自分に与えてくれた栄光の一つの形なのだ」と心から納得したのだろうと思う。そのような発見に至るとき、またもや猛虎魂の洗練された美しさに打たれて、感涙にむせぶ私なのである。(ISO) ☆2009年のコメント いささか、どころかまったくもって超個人的な思い出から、書く。 「夏の日の初体験」の話である。 私は小学校6年生だった夏休みに、叔父に連れられて従兄と一緒にプロ野球というものをナマで初めて、観た。場所は神宮。ヤクルト対大洋で、大洋が勝った試合だった。それまでにも家の近所の球場には、毎年初夏のころにヤクルト対巨人のイースタン・リーグの試合がやってきて、グラブをつけて観にいっていたが、それはやはり二軍の興行でしかなかった。一軍の試合は、この、6年生の夏休みが初めてである。 船田和英というヤクルトアトムズの内野手と金網ごしに話をしたことが、今となっては私の記憶のなかで宝物のようにキラキラと輝いている。シピンを見た、江尻を見た、そしてホエールズのユニフォームを着た江藤を見た。 夏の夕方、薄暮の……というより、まだ昼間のような明るさの空。それがやがて漆黒へとうつろい、反対にカクテル光線に照らされたフィールドは薄緑の美しき闘いの場と化す。子どもごころにも、美しかった。この、光に照らされた緑の世界が見える瞬間、そう、チケットをもぎってもらい、はやる気持ちそのままに早足で階段を駆け上がった果てにあの緑を目にするとき、子どものころとなんら変わらぬ気持ちの昂ぶりを今も感じる。おとなになっても、この感じを味わうために、私は毎年神宮に通う。 ――と、お前のその感傷と池田の“落球”(球に触れていないのだから、本当は落球ではないのだが)と何の関係があるのかって? 待て。大ありなんだな、ところが。 神宮でヤクルト対大洋戦を観た翌朝、私はわくわくしながら、新聞のページを繰った。なんせガキである。ひたすら無邪気である。私は、わずか10時間ばかり前に、自分の目の前で展開されていた戦いが写真で紙面に再現されているものと疑わず、運動面に見入った。 ……な、ん、だ、こ、れ? 私が目にした写真は、縞々のユニフォームを着た太ったおじさんが片足をあげて大地に引っくり返っているという、およそ野球らしからぬ1枚の写真だったのだ。少年は、世の中が自分中心には動いていないことを知った。 そうなんです。私が初めてナマで観たプロ野球。それは1973年8月5日の試合だったのです。 「8月5日は、野球記念日」
by sairyushakikaku
| 2009-08-05 16:19
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