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7月7日/1979(S54)年
江川・掛布初対決、掛布に放った第1球。 タイガースの歴史にあって天国と地獄を一息に経験した1980年代、その代表的なライバルだったのが掛布雅之と江川卓である。両者の初対決は、織り姫・彦星をきどったわけでもあるまいが、七夕の日だった。掛布は江川のタイガース戦初登板のときにけがで欠場していたものだから、この日が遅ればせの見参となった。 ところで、「田淵幸一、生涯犠打ゼロ」の項(→5月1日)で「せこさと無縁の天才」という表現を使ったが、ではもし、天才とせこさが奇跡的に同居したらどうなるか? その答えこそ、江川卓の野球人生である。「空白の一日」から小林繁とのトレードによる巨人入団までの経緯は無論、元をたどれば作新学院時代から「破裂寸前の右肩」のための引退に至るまで、彼はその天賦の才を、自らのせこさによって蕩尽してしまったのである(注:ここで使う「せこさ」という単語は、実社会では「有能」とか「効率的」という言葉に自動翻訳されている)。 この仮説の最大の根拠が、掛布との初対決である。同じ1955年生まれ、球界のサラブレッド対テスト入団、巨人の新エース対阪神の若き四番、すべてのお膳立てはそろって、江川が投じた第一球は何とカーブだった。アンビリーバボー! おそらく、そのキャリアで最高のストレートを投げられたこの時期、しかも最大のライバルであることが予め宣告されていた掛布に対して、カーブだとさ。 「120%まっすぐで来ると思いこんでましたよ。で、カーブ。あれ? これは勝ったぞ、と」。掛布はそのときの心理を明快に再現する。結果は強烈なスイング一閃、あっぱれライトへのホームランであった。で江川の弁「いやあ、情けない。草野球でもう一度対戦してストレート投げたいですよ」、だとさ。 ただし急いで付け加えれば、江川卓はまぎれもない野球選手である。それは10月24日の項(バース4敬遠)をお読みいだたければ明らかだが、このせこい天才は、86年(→6月26日)、王貞治(当時監督)の7試合連続本塁打に挑戦するバースに真っ向勝負して譲らず、5打席目に投げ込んだ渾身のストレートを、もののみごとに右翼場外にかっ飛ばされたのである。何が野球かを知っている、その意味で少なくとも江川卓は、ジャイアンツには数少ない野球選手であったことは事実であり、うがって言えば、彼の無意識は掛布ではなく、ランディ・バースこそ真のライバルだと感じていたのかもしれぬ。(ISO) 09年のコメント ……なるほど! 江川が掛布にカーブ、ですか。確かに、「アンビリーバボー」と言いたくなる。 04年の七夕の日も、アンビリーバボーな発言に満ちていますよ。 この日(2004年7月7日)、当時西武のオーナーだった堤義明が26年ぶりにオーナー会議に出席。その席上いきなりの発言が、「パ・リーグでもう一組、合併が進んでいる」。この2日前に選手会は近鉄とオリックスの合併に対して「1年間の延期」を呼びかけていたが、経営者サイドはもう「(パ4、セ6球団では)1リーグを考えざるをえない」という流れになった。このオーナー会議の議長は渡邊恒雄。同日、記者会見での名言! 「交流戦をやれと盛んに言われていたが、1リーグは完璧な交流試合」。笑ってる場合じゃないが、笑ったな。ただ、選手会長の古田敦也はナゴヤでの試合前にこう言った。「七夕やというのに悲しいことやなぁ。こういう話を選手、ファンの意見なしに進めてほしくない」 ……選手やファンの意見も聞いてほしい。これに対して、また出ます! ナベツネ名言。それは04年7月8日、つまり5年前の明日、飛び出します!
by sairyushakikaku
| 2009-07-07 11:24
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