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完全に梅雨ですね。野球場に屋根なんかなかった時代は、熱戦も湿り気味か? いや、そうはならずにいろいろとおもしろいことが起きていたみたいです。さて、6月30日の出来事は? 長い、ですよ。 6月30日/1973(S48)年 主役欠場の「ペピトーン・デイ いまだに「不良ガイジン」といえば、こいつ――。 として語り草なのが、この年ヤクルトアトムズにやってきた、現役バリバリ大リーガー33歳のジョー・ペピトーンだ。 ヤンキース、アストロズ、カブス、そしてブレーブスに在籍し、12年間で1397試合に出場、219本のホームランと721打点を記録したメジャーの4番打者だった。1963年、65年、66年にはアメリカン・リーグのベストナイン一塁手にもなっている。 ペピトーンの奔放すぎる性格を承知のうえで、アトムズは、主砲のデーブ・ロバーツが38歳となり衰えが目立ったため、この問題児を補強したのだった。 6月15日に獲得成功(これでロバーツは外国人枠から弾き出されてウェーバー公示となり、近鉄バファローズに移籍する)が発表され、19日にはギャル――婚約者だという――を連れて来日、三原脩監督と固い握手を交わす。長髪(のカツラをしていた)に口ひげ。数年後に映画『サタデーナイト・フィーバー』でジョン・トラボルタがやっていたような、パンタロンで上着のスーツから大きく襟を出しちゃう(今から思えばとんでもねぇ)、流行かつ最先端のファッション(もちろんノーネクタイね)。子どもでも「カッコいいー」と思ったものだった。もう来日当初から〝怪人ペピトーン〟と呼ばれ、アトムズも、ファンも、球界も期待して活躍を待った。 23日のジャイアンツ戦で4番ファーストで初出場し、さっそく勝ち越しタイムリーを打つ。28日のカープ戦では外木場義郎から、広島市民球場の右翼場外にまで運ぶ来日初ホーマー。 で、ヤクルト球団は、本拠地神宮でのお目見え興行として、6月30日土曜日の中日戦ダブルヘッダーを〝ペピトーン・デイ〟にし、内野席は婦人と子どもは無料招待というお祭りで彼を迎えたのだった(当時の神宮では、婦人子どもの無料招待というのはよくあったが)。 その30日。第1試合は、2番若松勉がツーベースを打って作った好機に三振するなど4タコ。第2試合は、「第1試合の3回ごろから頭痛がして、目が霞んでしまった」というヨイヨイジジイのような理由をつけて欠場。主役のいない〝ペピトーン・デイ〟になってしまった。 が、こんなのは序の口。翌7月1日には、球場にすらやってこなかった。そして前夫人との離婚問題を解決するということで7月6日に勝手に帰国。8月8日に再来日するも、今度は「アメリカで練習してバットを振りすぎて、手のマメが痛くてバットを振れない」だの「アキレス腱が痛い」だのサボタージュの連発。「アキレス腱は、ニューヨークのかかりつけの医者で治したい」と、またも帰国したのが9月12日。それっきり帰ってこなかった。 結局14試合で1本塁打、2打点、打率1割6分3厘。ヒットと三振がそれぞれ7。こんな野郎にヤクルト球団は20万ドル(5200万円)の契約金を払ったのだった。 翌74年もヤクルトスワローズに選手登録されたが、「キャンプまでに来日する」という約束はやっぱり反故となり、ようやく契約解除となった。 この過程で、ヤクルト球団は73年末にはいったんペピトーンに見切りをつけ、ボストン・レッドソックスの主砲カール・ヤストレムスキー(ペピトーンなどよりずっと格上)と交渉していたというのがおもしろい。 結局、太平洋クラブ・ライオンズをクビになった外野手のロジャー・レポーズをテストで入団させた(このロジャーだって、1961年にはミッキー・マントルとロジャー・マリス――ベーブ・ルースのホームラン記録60本を抜き、マーク・マグワイアとサミー・ソーサに抜かれるまでメジャーの記録〈61本〉保持者だった――というヤンキースの誇るMM砲の前後を打った輝かしい〝前歴〟の持ち主だ。もうひとり、「前後を打った」のはほかならぬペピトーンだったのだけれども)のだが、〝ペピトーン騒動〟は、ある意味では「災い転じて福となす」結果にもなった。 というのは、帰国したペピトーンは、前夫人から慰謝料を払わないことで訴えられていた。そんな彼の言い訳は、「日本のヤクルト球団が俺を自由にしてくれないので、ほかのチームで働いて稼いで、それで慰謝料を払うということができないのだ」。この問題でアメリカのコミッショナーから解決を依頼されたのが、ロスアンゼルス・ドジャーズのピーター・オマリー会長。これが縁で、ヤクルト球団はオマリー会長と信頼関係のコネクションができ、それが後に、ドジャース(3Aアルバカーキ)からチャーリー・マニエル外野手を獲得することにつながっていくのだから。(春) ★2009年の追加コメント 上着のスーツから大きく襟を出しちゃう……なんてコト書いてますけど、ここ何年かのクール・ビズってえヤツ。あれ、サラリーマンの服装を見ていても、上手な人と下手な人と、やっぱりはっきり別れてますね。「大きく襟を出しちゃう」状態になると、ちょっとカッコ悪い。となると、襟はボタンダウンになっていたほうがすっきり来るようですね。そんなことを思い起こさせるペピトーンでした。 そんなペピトーンも、1940年生まれだから、今……ええっと、68歳か。女ったらし、やっているのでしょうか? 元気なことを祈ります。
by sairyushakikaku
| 2009-06-30 11:20
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